2012年7月10日火曜日

仰げば尊し我が師の恩

  
前回の記事にも書きましたが、とうとう高校美術部時代の同窓会に行ってきました。

▼前回の記事はこちらです。

2期生から20期生のうちの約40名が集りました。
私よりも若い世代の人たちが中心だったので、会場となった美術室には赤ちゃん連れの人もチラホラ。
なんともアットホームな同窓会でした。

しかし、美術部っていうとどちらかという文科系でマイナーなイメージの部だと思うのですが、それにしてもこれだけ人数が集る求心力は、やはり顧問の先生の功績によるところが大きいのではないかと思います。

一般的に美術部のイメージって、美術室で静かに優雅に絵を描いているイメージを持たれると思うのですが、私がいた美術部はとても体育会系の美術部でした。
一年を通してぎっしりと展覧会への出展計画が決まっていたので、常に締切に追われている状態でした。
そのため展覧会前には授業前の早朝、放課後、そして学校が真っ暗になった夜にもこっそり忍び込んで、懐中電灯の明かりを頼りに描いていました。
(おかげでよく怒られました(^^;))

夏休みには合宿もあり、体育会系の三部連のように早朝、朝食後、午後から夕方までと、炎天下の街中で絵を描いていました。
そして宿に帰って夕食後は夜中までシビアな絵の批評会。
このときには、顧問の先生から「どうしてこんな構図に決めたのか?」「この色彩にはどんな意味があるのか?」「何を表現しようと思っているのか?」等、厳しい質問が飛び出します。

最初絵を描き始めたばかりのころは、単純に描くのが好きだからという理由だけで、いちいち「なぜ?」と問われても自分の中に明確な答えはありませんでした。
ですが、ここでは「なんとなく。。。」という返事は通用しませんでした。
とことん「なぜなのか?」と問いつめられ、自問自答を繰り返しました。

絵を描くということにここまで真剣に向き合わされることによって、自分の中で少しずつ「表現することへの情熱」みたいなものが育っていったように思います。
なんにも知らない、なんにもできない子どもっぽい高校生が、いきなり絵を描くという行為を通じて、大人と同じ土俵へと引き上げられたようにも感じました。

今から思うと、これだけの指導をして下さった顧問の先生は、かなりのエネルギーを私たちに使ってくれていたんだなぁと思います。
当時先生も30代でまだまだ若く、芸術についていつも真剣に私たちと討論し、時には叱り、真っ正面からぶつかってくれました。
こんな真剣な大人にあの時代出会えたたことは、私の人生にとって今でも大きな財産となっています。

集ったメンバーで、当時の顧問のT先生がいかに強烈で熱心で、まるで私たちを魔法にかけたように美大の道へと導いてくれたか。。。という話題で盛り上がりました。
T先生は、私たちが入部したての1年生の頃から、美大へ進学することはごく当然のこととして扱ってくれていました。

自分の将来に対して何も明確なビジョンの無かった私は、単純に絵を描くことが好きだったので、芸術科目を選択する際に「絶対に美術を選択したい」という意味の二十丸を願書に記入していました。
それが実はT先生の元で修行するという、魔法の始まりだったようです。

1年生のクラス担任がT先生だったのも、同じクラスに美術部員が3人もいたことも、実は偶然ではなく、あの二重丸から始まっていたようです。
クラス担任を決める際にT先生が美術科目に二十丸をつけた生徒を集めて、そのクラスの担任となったそうです。
T先生は、私たちを自分のクラスに集めることによって、より育てやすい環境を作ってくれていたというわけです。
このことは、後に同じ部員だった友達が教育実習で母校に教えにいった際に知ったそうです。

20年以上もたって事実を知ったわけですが、改めて「自分の好きなことを表明する」ことの大事さを実感しました。
「私はこれが好き」「私はこれをやりたい」とはっきり言い切ることは、こんなにも道を切り開いてくれるんですね。
何も考えていなかった高校生の私が、その後美大へと進学し、デザインという仕事にたどり着いたのは、全てこの高校入学時の二十丸から始まっていたわけです。
やはり偶然はなく、全て必然なのですね。

今回の同窓会では、残念ながら初代顧問だったT先生は欠席でした。
会えなかったのは非常に残念でしたが、次回はT先生に教わったメンバーでT先生を囲む会を企画することになりました。
今度T先生に再会したときには、どんな話ができるのでしょうか。
今からとても楽しみです。





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