2011年8月30日火曜日

お盆に先祖を想う

夏のお墓参りにて。息子とツーショット。
お盆が過ぎてすぐ、急に風邪で寝込んでいました。
夏風邪はこじらせると長いとはいうけれど、こんなにこじらせるのは珍しいです。
結局、2週間近く仕事もお休みする事となりました。

今回風邪で寝込みながら、何故か「お盆」を痛烈に意識させられる日々でした。
お盆と言えば先祖が帰って来るわけですが、本当にご先祖様がたくさん帰ってこられたんですよね。。。


ここから先は、熱にうなされた私の与太話と思ってお読み下さいませ(^^;)。。。




風邪をひいて熱を出したのは8/17から。
夏休み明けて出社したものの、あまりのだるさに結局早退させてもらいました。

その前日まで沖縄から息子が帰ってきていたり、実家の母や妹ファミリーがステイしていたりと、人が大勢いてバタバタと忙しく、ようやくみんなを送り返してほっと一息ついた時でした。
なので、お盆の疲れが出たかなぁ〜と、あまり真剣に考える事も無く、近所の町医者に行って風邪薬をもらい、1〜2日もすれば良くなるだろうと思っていました。

今回の風邪は喉の痛みがひどく、翌日には声が全く出なくなりました。
そしてあっという間に熱は39度まで上がり、30度超える気温だというのに、布団に潜り込んでも悪寒でガタガタ震えが止まらない状態でした。

でも、インフルエンザのような強烈さはなく、感覚としてはもう少し穏やかな風邪。
とはいえ、熱は高止まりのまま一向に下がらず、トイレと食事以外は寝込んだまんまとなってしまいました。

そのまま4日過ぎても熱は下がらず。
そういえば昔、38度ぐらいの熱が1週間ぐらい下がらず、結局別の病院でレントゲンを撮ってもらったら肺炎を起こしていたことがわかり、即入院したという経験がありました。
なので、ひょっとしたら今回もこの熱の下がらなさからすると、肺の方まで炎症を起こしているかもしれないと思い、少し大きい病院でレントゲンと血液検査を受けました。

すると、肺炎はおこしてなかったものの、肺の下部の気管支が炎症をおこしていて、しかも一部は呼吸音が聞こえないとの事。この頃には喉の痛みが更にひどくなり、一日中咳が止まらず、夜も眠れない状態となっていました。咳き込むととても息苦しくなり、呼吸がしんどかったのですが、それは細い気管支が炎症のために呼気を通さない状態になっていたからだそうです。ようは喘息になっていたわけですね。

喘息というのは、本人がいくら息を吸っても、その先の気管支で呼気が通らないため、吸っても吸っても酸欠になってしまうそうなのですが、その息苦しさを初めて体験しました。
息子は小さい頃からよく喘息の発作を起こしたのでその様子を見ていましたが、自分が体験するのは初めて。こんなに苦しかったのか。。。と思いました。
小さな子どもが発作を起こすと、このまま息が止まって死んじゃうんじゃないかと何度も思いましたが、死んでも不思議ではないと、自分が経験してみてそう思いました。

それでも、入院せずに抗生物質を飲みながら様子を見て下さいと言われ、家に戻りました。

家に戻ったものの、咳止めの薬のおかげで、夜は少しは眠れるようにはなりましたが、
熱の方は一向に下がらず。その状態で何日も過ぎました。

その間こうも高い熱が続いていると、目が覚めていても意識は朦朧としていて、起きていても、ご飯を食べていても、現実感というものがいまひとつ無いんです。
自分の身体も自分のものではないような、身体から魂だけふわっと半分抜け出しているような、妙な状態の日が続きました。
まるで、この世にいながら私だけ身体半分はあの世に足を突っ込んでいて、どちらの世界にも完全に属しきれていない中途半端な状態。。。そんな感じでした。
そして、その状態だと食べなくても平気なんですね。お腹がすいたという感覚もない。
ただ、知識としてはこれで水を飲まなくなったら熱中症になるなとか、これ以上食べないと低血糖で動けなくなるなとか、頭ではわかっているのでなんとか身体を維持しようと無理にでも水を飲んだり、少し何か食べたりはするのですが、そうしなくても平気というか、むしろ何も飲みたく無いし、食べたく無いという状態。
とてもふらふらしていて、意識も朦朧としながらも、このまんま食べる事を放棄したら、私は死ぬ方向にいくんだろうなぁ。。。とぼ〜っと考えていました。
でも、なんとなく、それでもいいじゃん、このまま死ぬなら死んでもいいじゃん。。。って気持ちになっていくんですよね。弱りすぎると。
後でよく考えると怖い話なのですが、この時は生きてても死んでてもどっちでもいいやって感じでした。

そんな、起きているのか寝ているのか、生きているのか死んでいるのかよくわからないような状態で、何故か子どもの頃の事が次々と脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えしていました。一番最初に浮かんできたのは、高校生のときに進学を反対されて母と大げんかをしたときのこと。
「女は嫁に行くんだから勉学は必要ない。」と、時代錯誤なことを本気で言う母に対して、「私の人生は私のものだから、自分で決める!」と、真っ向から反発していました。
その当時家計が苦しくて私を進学させる余裕がなかったのが一番の理由だったのですが、「女は嫁に行くんだから」という言葉にはどうしても同意できず、しばらく母とは口をきかない時期がありました。

次に浮かんできたのは死んだ父方の祖母。
私がまだ小学校1年生の時のこと。
「久美ちゃんはしっかり勉強して、級長さんになりなさいね。よう勉強して、賢くなりなさいね。おばあちゃんは勉強が好きで学校の先生になりかたかったけれど、お見合いで顔も知らんおじいさんのところに嫁がされたから、結局先生にはなれんかった。。。」と、話していました。

今度は死んだ母方の祖母。
文盲で新聞も読めなかった祖母は、小学校しか出ておらず、そのためいろんな手続や外部との付き合いは、祖父を通してしかできませんでした。
「おばあちゃんは小学校でてすぐに野良仕事させられてたから、未だに読み書きできんのよ。でも、久美ちゃんたちはええねぇ。そうやって学校行かせてもらえるんやから。今の子らは幸せやわ。。。」

後はよく覚えていませんが、とっかえひっかえじいちゃんやらばあちゃんやらが出てきて、昔私に話して聞かせたことを、繰り返し話していました。
とはいえ、この時の私は起きてるのか寝ているのかもわからないし、この人たちの話がほんとうだったかどうかすら、定かではありません。
ただぼんやりと、そういえば昔そんな話を聞いたよなぁ。。。という話を、口々にいろんな人が話にやってきました。
これは、現実だったのか、私の妄想だったのかは、よくわかりません。
ただ、このご先祖さんたちの思い出話や愚痴話を延々と聞きながら、ぼんやりと「色々あっただろうから、無念だった事を聞いて欲しかったんだろうなぁ。。。」と感じていました。
どれだけご先祖さんたちの愚痴を聞いたかはわかりません。
その間、何日か経っていました。

そんな私の様子を心配した友達が電話かけてきてくれました。
一通り事情を説明すると、「私のお客さんで、先祖供養したら喘息治った人が何人かいるよ。ひょとして久美ちゃんとこも供養が必要なんと違う?」と言いました。
私の場合、先祖供養と言えばお彼岸にお墓参りするぐらいしかしていないのですが、この時はなんとなく、そうしてあげるのが良いような気がしました。

気がつくと、私が寝込んでから神棚の榊は枯れてしまい、仏さんに備えたお花も無惨な状態。
早速近所の友達に電話してお花を買ってきてもらい、ふらふらしながら神棚と仏壇のまわりをきれいにしてお供えもしました。
そしてふらふらしながら祝詞とお経をあげました。
そして最後に色々話しにきてくれたご先祖さんたちに、「おかげさまで、こうしてなんとか生きて生活しています。ありがとうございます。私が生きている限りは、皆さんのお話は時々こうして聞かせてもらいますので、いつでもどうぞ。安心して下さい。」と言いました。
すると、母方の祖母がにっこり笑った顔が見えたような気がしました。
そのあとは又布団に倒れ込み、そのまま昏々と寝てしまいました。

不思議な事に、翌朝熱が少し下がっていました。
そしてそこからは徐々に熱が下がり、咳も治まってきました。
よくわからない私の弔いが届いたのでしょうか。
ご先祖さんたちは納得して、あちらの世界に戻ってくれたのでしょうか。
とりあえず急激に体調は良くなりました。

身体が楽になってみてふと感じたのは、先祖から連綿と続いている「家族の業」みたいなものを漠然と感じていて、そのとばっちりを自分の親から受けて育ってきたような気がしてました。
確かに、そういう家系が引き継ぐ「負の遺産」のようなものがあるのは事実です。
しかし、先祖の方達がいたから今の自分があり、また息子も生まれてくる事ができたのも事実です。
今の自分は、家系というリレーの中の途中ランナーなんですね。
お盆というのは、そういうことを改めて思い出し、先祖の昔話をいろいろ聞いて、そしてまた感謝とともに送り帰すというものなのかもしれないなぁと思いました。
今年のお盆は少し時期がずれましたが、身体を張ってお盆の意味を体験させられたような気がしました。












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